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2016 夏のドライブ旅行後半戦 N作戦 II マイントピア別子 東平ゾーン [国内ウロウロ]

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私たちが立ち寄ったこの場所は、N作戦とは全く関係ない場所だが、単純に途中で私が行ってみたいと思った場所。
ここは、マイントピア別子の東平(とうなる)ゾーン。
300年くらい前から'73年に閉山されるまで続いた銅山跡で、端出場(はでば)ゾーンと、この東平(とうなる)ゾーンに分かれている。
端出場ゾーンは有料で体験型の展示施設が多いようだが、東平ゾーンの方は無料で見学できる。
時間があれば、もちろん両方のゾーンを見学するのがいいのだけど、この先の予定もある私たちはどちらか片方を選択せざるを得ず。
私たちはガイドブックを見て写真に撮りたいと思った東平ゾーンのほうを選んだ。





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まずは、上から見下ろす。
下界はきれいに晴れていたが、山の中はかなり霞んでいる。
 




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この透明なパネル上の線を山の稜線に重ねると、別子銅山鉄道が通っていたルートがわかるということだが、霞んでいて見えない。 
 
 
 
 
 
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この階段はインクラインと呼ばれていたところで、銅を運搬するためのゴンドラが引かれていた。
今は長い石段となっていて、その数220段。
とりあえず、一気に降りていく。
 




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ここは索道基地跡。
端出場との間の輸送拠点で、鉱石の他に生活用品も運ばれていた。
 
 
 
 
 
 
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こちらは鉱石の貯蔵庫跡。
 




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誰が名づけたか、ここは東洋のマチュピチュと呼ばれているのだとか。
逆のパターンで、海外の円錐状の山を「なんとか富士」とか呼ぶこともあったりするのだが、私の個人的な感想としては、例える方にも例えられる方にも、失礼な話だなという気がする。
歴史的なバックグラウンドが全く異なるものを、見た目がなんとなく似ていたりするだけでねえ。

まあ、そんなことはいいとして、こういう被写体を写真に撮りたかった。
最近自分で気づいたのだが、私はこういう産業遺産的な廃墟が好きなようだ。
そこには、先人たちが切り開いた「未来」や「可能性」を感じるから。

 
 
 
 
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併設されている資料館へ。
このエリアには、住居や学校、病院等、ひとつの町が存在していたそうだ。
 
 
 
 
 
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小学校の模型。
 
 
 
 
 
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社宅の模型。
 
 
 
 
 
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娯楽場もあったそうだ。
 
 
 
 
 
 
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その他、当時の暮らしや銅山の歴史を示す展示が並んでいる。

 
 
 
 
 
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資料館を出ると、パラパラと雨が降っていた。
辺りがさらに霞んできたので、最後に一枚撮って山を降りることにする。
 
 
 
 


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コメント 10

めぎ

私も今回北海道で産業遺産の廃墟を見てきましたが、全てが置き去りで生々しく、非常に心に残りました。
こちらは見学施設として色々整っているようですね。
霧の中に浮かぶ崩れたような煉瓦は印象的ですね。何もマチュピチュなどと呼ばなくてもいいと私も思います。
by めぎ (2016-10-30 18:04) 

ふにゃいの

最初の上から見下ろした写真を見た時
ミニマチュピチュっぽい?とか思ったら、
やっぱり言われているんですね。
いや~、よく知らないからこそ
似てるなと思う人は多いんだろうなと思いますよ。
それを代名詞っぽく使うのは、
意味がないなと私も思いますけどね。
by ふにゃいの (2016-10-30 19:30) 

YAP

めぎさん、ふにゃいのさん、コメント & nice! ありがとうございます。

めぎさん、
こういう廃墟って、当時の活気があった姿を想像されるとともに、今の荒廃したもの悲しさが重なって、印象的ですよね。
時代の移り変わりを感じます。

ふにゃいのさん、
マチュピチュっぽく見えましたか。
見た目だけで何かに例えるのは仕方ないですかね。

xml_xslさん、kiyoさん、AKIさん、リホさん、knackeさん、nice! ありがとうございます。
by YAP (2016-10-31 07:02) 

kuwachan

タイトルを拝見して、別子って、あの銅山の別子?と思ったら、やっぱり^ ^
私が子供の頃は、日本の銅山といえば別子でしたからね(笑)
今は廃墟になってしまっているのですね。
by kuwachan (2016-10-31 08:54) 

リュカ

こういうところめちゃめちゃ惹かれます。
たしかにマチュピチュっぽいかなー(笑)
ちゃんと資料館があるのがいいですね。
by リュカ (2016-10-31 09:48) 

aloha

まず鉱山ありきなので仕方ないことだとは思いますが、
ずいぶん条件の厳しい場所に町を作っていたんだと感心しました。
娯楽場まであったというところに、地形に負けず、
人々が生活を楽しんでいたんだという感じがします。
by aloha (2016-10-31 13:01) 

YAP

kuwachanさん、リュカさん、alohaさん、コメント & nice! ありがとうございます。

kuwachanさん、
私は社会科が苦手だったので、実はあまり学校で習ったという記憶がありません。
唯一おぼえているのは、足尾銅山かな。

リュカさん、
廃墟として残っているだけでなく、資料館もあるとわかりやすいですね。
当時に思いを馳せました。

alohaさん、
交通が発達していなかった時代でしょうから、そこで働く人は住み込むしかなかったんでしょうね。
そこで生活するとなると、町としての機能も必要だったということでしょう。

マルコメさん、sheriさん、nice! ありがとうございます。
by YAP (2016-11-01 07:40) 

YAP

Lionbassさん、schnitzerさん、nice! ありがとうございます。
by YAP (2016-11-02 07:05) 

luckystream

昔はここで住む人の生活が完結していたんでしょうね。
なんだか当時の息づかいが聞こえてくるようです。
そんな賑わいから一転、今では誰もいないなんて、
もの悲しさが募ります。
私も行ってみたい!
by luckystream (2016-11-02 10:29) 

YAP

luckystreamさん、コメント & nice! ありがとうございます。
もしかしたら、ここで一生を遂げた人もいたのかもしれないですよね。
当時の賑わいと今とのギャップが物悲しいです。
by YAP (2016-11-03 07:12) 

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