名古屋 1泊2日 おっさん一人旅 リニア・鉄道館 その2 [国内ウロウロ]
2月最後の週末に出かけた名古屋1泊2日おっさん一人旅。
この日の目的地、JR東海の博物館、リニア・鉄道館の後半。
今回も鉄道マニアではない私は子供の感想みたいなことしか書けないし、写真もかなり多いが、ご容赦を。
ここからは JR東海の主役ともいえる、新幹線を中心に見ていく。
0系21形式新幹線電車 (1971)。
新幹線と言えば、私の世代だとこのフォルム。
この日の目的地、JR東海の博物館、リニア・鉄道館の後半。
今回も鉄道マニアではない私は子供の感想みたいなことしか書けないし、写真もかなり多いが、ご容赦を。
ここからは JR東海の主役ともいえる、新幹線を中心に見ていく。
0系21形式新幹線電車 (1971)。
新幹線と言えば、私の世代だとこのフォルム。
そうそう、こういうシートだったのをおぼえている。
背もたれの部分全体がスライドして、進行方向に対しての向きを変えていた。
あと、ひじ掛け部分に内蔵されていて引き出して使用するテーブルもおぼえている。
この 0系新幹線の展示には、0系36形式 (1975) という食堂車が連結されていた。
この車内レイアウトも記憶に残っている。
片方の窓側に狭い通路があった。
当時のメニュー。
カツカレーが 900円とか定食メニューが 2000円とか、今とそう変わらないなかなかのお値段。
当時としてはそれなりに高かったと思うし、それから50年くらいたった今でもそう変わらない価格というところに日本経済が停滞していることを実感。
第2世代の新幹線、100系123形式新幹線電車 (1986)。
キープコンセプトながらライトが細くなり精悍さが出ている。
この世代からシートピッチが広くなったのか、シート全体が回転して向きが変わる仕様になっている。
この時代の新幹線には、2階建て部分があった。
100系168形式 (1985) という食堂車。
こんな感じで1階部分が厨房と通路、2階部分に食堂車の客席部分。
側方の通路部分がないので車両全幅を利用し広々感がある。
視点が高いので見晴らしもいい。
この新幹線は、学生時代の帰省時によく利用した記憶。
一際目立つ黄色い車両、922形新幹線電気軌道総合試験車 (1979)、通称ドクターイエロー。
安全な運航を維持するために、線路や架線を高速走行しながら点検できる。
この世代から「のぞみ」が運行開始。
300系322形式新幹線電車 (1990)。
これが世に出たときは、このフォルムに未来を感じた。
車内の雰囲気は、100系に比べると窓が小さくなって、やや閉塞感があるか。
700系723形式新幹線電車 (1997)。
調べてみたらもう現役を引退しているようだ。
今も走っているかと思った。
車内はもう現代の雰囲気。
この後、周辺の展示物を見ていく。
新幹線のダイヤが年代別に表示されていた。
画面が見えにくいが、横に時間軸、縦に駅名があり、各列車の運行が直線で示されている。
開業当時は、ひかりとこだまが1時間に1本ずつ。
それが時代とともに運行数が増え、のぞみが開業したときは、1時間にのぞみが1本、ひかりが7本、こだまが3本。
まだまだ主役はひかり。
これが 2020年なのでほぼ今と同じかな。
1時間にのぞみが12本、ひかりが2本、こだまが3本。
主役の座はのぞみに移り、ひかりはこだまよりも少なく申し訳程度の運行。
300km/h 近くで高速走行する電車を首都圏の通勤電車みたいなダイヤで運行するというのは信じられない。
外国人が日本に出張に来ると新幹線は驚くものの代表格だが、日本人でも驚愕ものだ。
歴代新幹線の先頭車両のデザインモデル。
最初はこういうのを作って初期検討をするのだろう。
安全運行はこういうシステムによって維持されている。
これも代々進歩しているのだろう。
こちらは発券システム。
よくよく考えると、沿線各地で予約が被らないように発券しなければならないわけで、インターネットが当たり前の現代ならまだしも、50年以上前に運行開始したころはシステム構築に相当の難しさがあったのだろうと思う。
駅でよく見る行先掲示板。
展示されていたのは今はもう見なくなったパタパタ式。
2階部分に上がり、歴史展示室へ。
東京~大阪間の所要時間が時代とともに表示されていた。
鉄道開業当初 1896年頃は、急行列車で16時間29分。
1932年になると特急「燕」で8時間20分。
前の写真の時代から35年くらいで半分くらいの所要時間になっている。
1964年の新幹線開業時、「ひかり」で4時間。
ここから高速鉄道時代が始まる。
ほぼ現代、2007年に「のぞみ」N700系で2時間25分。
新幹線時代になってからも1時間半くらい短縮されている。
今後はリニアが開通するときが大きな変換期かな。
鉄道は日本中網の目のように走っていて、日本人の移動を画期的に変えたのだと思う。
国鉄ができたのは戦後だということに驚いた。
そして新幹線の開発へ。
今のリニア実験線のように、新幹線も実験線で2両とか4両とかの試験車両を走らせていたらしい。
想像していたよりもボリュームがあり、見応えのある博物館だった。
私は3時間くらいで見学したが、鉄道好きならその倍くらいはかかるのではなかろうか。
私も新幹線と言えば、一枚目の写真の丸い鼻っぽいフォルムです。
北海道に新幹線は無かったけど
お絵かきで新幹線はこれを描いてました^^
by リュカ (2023-03-12 21:24)
はじめのお写真の新幹線、懐かしいです^ ^
食堂車って、すごく特別で、好きでした。
30年くらい前には、新幹線に特別車両みたいな個室があったけれど、今はないですね〜。(どうしても新生児を籠に乗せて移動しなくてはならなくて一度利用しました)
by おと (2023-03-12 22:37)
そうですね、この最初のお写真が私にとって新幹線。
でも私、札幌出身なんで、新幹線に乗ったのは11歳ぐらいの時が初めてでした。
それはこだまだったので、このタイプのひかりには乗ったことないかも。
だから食堂車も見たことが無いし、座席の記憶も無いのですが、北海道からずっと新幹線に憧れていたことをよく覚えています。
by めぎ (2023-03-13 06:37)
リュカさん、おとさん、めぎさん、コメント & nice! ありがとうございます。
リュカさん、
学生時代、同じクラスに新潟出身のヤツがいて、新幹線の絵を描くと(東海道新幹線と)同じ形だけど緑で色を塗るといってました。
ここは JR東海の博物館なので青いラインの新幹線ばかりですが、大宮の JR東日本の博物館だと違う色の新幹線の展示ですね。
おとさん、
100系新幹線の2階建て車両には、食堂車仕様のものとグリーン車仕様のものがありましたね。
たしか、2階建ての1階部分が個室になっていた記憶があります。
めぎさん、
めぎさんが初めて乗ったという頃の新幹線は、ひかりもこだまもすべてこの形だったはずです。
新幹線も何年か後には札幌まで延びますね。
xml_xslさん、tochiさん、@ミックさん、鉄腕原子さん、nice! ありがとうございます。
by YAP (2023-03-13 06:55)
さすがJR東海、新幹線の展示は群を抜いて素晴らしいですね。
歴史的な車輛もあって、わたしのような鉄道好きには堪りません。
2階建ての食堂車には、もうすぐ廃止というときに家族で乘りました。
...喜んでいた息子なのに、い海女は全く覚えてないんだって(泣)
by ナツパパ (2023-03-13 09:56)
新幹線と言えば私も1枚目がしっくりと来る世代です。
子供の頃持っていたプラレールもこれでした(笑)
by kuwachan (2023-03-13 14:05)
ドクターイエローというと私には一時帰国の思い出。
京都から空港に向かう関空特急はるかの窓から、よく見えてました^^。
by Inatimy (2023-03-14 07:46)
ナツパパさん、kuwachanさん、Inatimyさん、コメント & nice! ありがとうございます。
ナツパパさん、
新幹線は JR東海のドル箱ですから、展示にも力が入っていました。
これが日本の高速交通の歴史を作ったわけですから。
kuwachanさん、
私のブログは読んでくださっている方の年齢が高めなので、新幹線というと最初の写真の形ですよね。
丸さが愛嬌あると思います。
Inatimyさん、
「よく見えていた」ということは、車両基地か何かでしょうか?
私は一度だけ、出張から帰るとき(名古屋駅だったかな?)に遭遇したことがあります。
nmzkさん、kiyoさん、gillmanさん、ふるたによしひささん、sheriさん、nice! ありがとうございます。
by YAP (2023-03-14 08:00)
新幹線網が、日本中に拡がり、すごく便利になりましたが、同時に、従来線が衰退しました。
同時に、新幹線が来ない県は、置いてきぼりをくった感があります。
便利の高速鉄道にも光と影がありますね。
便利な新幹線は、もちろん利用しますし、在来線も、残したい気持ちです。
by テリー (2023-03-14 11:14)
テリーさん、コメント & nice! ありがとうございます。
それは高速道路の開通も同じですね。
都市間移動は便利になりましたが、途中素通りされてしまう地域は逆に衰退してしまうということが各地に起こっていると思います。
新幹線沿線でも、高い運賃払うほどの距離ではなく、特急くらいの車両で十分なんてところも多いですが、選択肢が減っているというのはありますよね。
by YAP (2023-03-15 07:04)